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to the unknown ground

ゆっくり、あるきはじめよう。 はじめのいーっぽ!!

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Category: 海外登山

Annapurna Trekk③

2014.10.8-19 12days

Day9. Throng Phedi(4450m)→Manang(3540m)
Day10. Manang→Danaqyu(2300m)
Day11. Danaqyu→Besishahar(820m)
Day12. Besishahar→Pokhara(820m)


世界最大の峠、トロンパス(5416m)

トレック開始から8日目の10月15日
季節外れのモンスーンの影響による積雪によって
私を含めた50人近くの人達が雪を掻き分け四苦八苦しながら
パス手前にあるトロンフェディのBCまでやってきた

小屋に着いた時、どの人も皆疲労困憊していて、
靴も靴下もびしょ濡れな状態だった
中には歩けなくなって担ぎ込まれた欧米人も居た

①


この時の状況としては、なんとかここまでやってきたけど
ここから更に上のパスに抜けられるだろうか、と皆が思っていた

上部はもっと雪が深く、腰までの積雪量
好天にはなったけれど、まずはラッセルで道を作らなければいけない
あちこちでどうするか相談がされていた

私は、Team単独行のマイクとケイティと一緒に固まって様子を伺っていた


この時、既にパスで行方不明者が出ているという噂を聞いた


後々に判明したのは
10月14日に発生した、トロンパス雪崩事故
実に40名近くの死者を出した、ネパールのトレックルート史上最悪の事故だった

しかし上部は通信手段も何もなく、
私たちはただ噂を耳にしながら状況を伺う事しか出来なかったのだ

雪崩が発生したのはトロンパスを越えたその先だった

アンナプルナ地図③



オーストラリアの黒人の女の子、アンジーと同室になった
彼女はポーターを付けての単独トレック
これで仲良しになったTeam単独行のメンツは4人に増えた

食事を取りながら明日どうするかという話になる


と、夜になって
ネパリのガイドの中心になっていた人が
好天だし明日パス越えをしようと思うと皆に向けて言った
ただし、ハードなラッセルが必要になるので、ネパリ達を全員集めてラッセル隊を結成する
非常にリスキーなことなので、ここにいる人みんなから一人1000Rs程の寄付をお願いしたい、との事だった

私はこの事に全く異存はなかった
危険地帯になってる上部のラッセルはガイド達のプロフェッショナルの力が必須だし
リスクを承知で頑張ってくれる彼らに相当の謝礼は当然必要だと思うから
ここにいる多くの人が賛成した

しかし、一部の欧米人グループが反対
お金を払う事は不当だとした

それに対して、ネパリ達も反論し
全員の承諾が得られないのであれば止めにしよう、という事になった
このことによって、小屋の雰囲気は俄然悪くなり
各自協力せずバラバラに出発する話に

他のグループと話をしつつ、翌朝は5時には出発する事になった


さて、ここで問題は
積雪のない通常期でもこのアタックは非常に難関部分で
次のムクティナートの村まで10時間はかかる
それがこの積雪で前日に倍近くの時間がかかっていたので、時間的に到底渡りきれない
でもそれでもやってみるしかない
ここは下界から1週間もかかって来た谷の奥地
その先にはジープが走る村がある、誰かが突破しない限りは道は開かれないのだ


翌朝、4時前には起きて、様子を伺うとダイニングキッチンには誰もいない
部屋で寝袋にじっと包まって待つ

ようやくぞろぞろ人が出てきた所を見計らってダイニングに向かうと
早朝から何やら揉めている

どうやら雪の状態が悪く、今日は進めないとの事
そして昨日決裂したラッセル隊の話を再度持ちかける欧米人達が居た
「払わない人がいるなら、倍額払うから」彼らは言うけれど、
一度決裂して良く思わないネパリ達の気持ちは変わらない

どうしてこんな時に皆で協力出来ないんだろうかと、
殺伐とした空気の小屋の中でとても悲しくなった

あーだーこーだ押し問答している内に下山しはじめる人が増えた
私とて、皆が行くなら行くしかないけれど
この状況の中でピッケルもなく斜面を登るは到底無理だろうなと思った
危険すぎる
仲の良いガイド達も危ないから皆下山しろと声をかけてくれる

同室のアンジーは下山する事に決めた
行くか、下るか、私は随分迷った
パスの先のムクティナートはチベット圏に入り、聖地と呼ばれている
パス越えの魅力より、私はムクティナート、ムスタンエリアを見てみたかった
ここにいる皆がそうだ
ここまで来て、この先に全てがあるのだ


それでも決めたのは「既に不明者が出ている」、この事実。

アンジーとそのポーターと一緒に下山する事に決めた
ここから先の下山とて決して安全とは言えない状況なのだ

Team単独行のマイクとケイティはパス越えをする事に決めた
50人居た小屋の中で大半が下山する中、
10数人の人達は待機して明日トライする事を希望した

今まで一緒に登ってきて、この決断が分かれ道だった
ほとんどの人が危険性を重視していて、上に進む2人が心配で辛かった
殺伐としている空気にやるせなく、涙が流れる
隣を見るとアンジーも泣いてるし、みんな泣いていた

②

本当に本当に気をつけてねと何度も言って私達は別れた


外を見ると変わらぬ好天だったけれど、雪面は凍結し恐怖感は増す
私とアンジーはポーターと3人で下山を開始した
④

下山は昨日より遥かに難しく、何度もスリップしそうになりながら慎重に歩いていく
ポーターは昨日も一人の外人が滑り凍った川に落ちたと話す
③


下山を始めて、途中にある茶屋にようやく着いた時
ラジオニュースが流れていた
それは「トロンパス雪崩、23名死亡」という物

この時初めて事故の大きさを知る

不安な予感は的中して、これだけ多くの人が亡くなった事に動揺を隠せなかった
既に全国ニュースになっているという事は日本でもニュースになってるかもしれない
まず下らなければ
そして上に残った人達は本当に大丈夫なんだろうかと更に心配になった

一気にマナンを目指したけれど、下山路もまた長い道のりだった


眩しいばかりに輝く白い峰々をいつもと違う気持ちで眺める
ただただ恐怖でいっぱいだった

⑤

⑥

途中の小屋の人たちが皆雪かきをしてる

⑦


ヤクカルカの村には、既に外人達は数名になっていて、ほとんどの人が下山したという
コットリママの姿を探した

コットリを発見した時、ママは
「ツォーリー!!(娘)、無事でよかった!!」って抱きしめてくれた
⑧
ママは事故の詳細を知らず、何人亡くなったのかと聞いた

人も馬も皆下山をする中、数名の人たちは上に上がっていこうとする
⑨

その度に私達は上の状況を説明し、危険だから上に行く事は勧められないと言った
状況を聞いて下山する人もいたし、それでも上に行く人は行った
トレッキングという個人の自由が大きく左右される中、判断もまた個人の自由なんだと思った


急激に下山し、高山病が出てきて足がヘロヘロになって中々進まなかった
キツイ下山だった
8時間近く下って、ようやっとマナンが見えてきたら、マナンもまた数日前の姿とは全く変わっていた
⑩

マナンの村は人でごった返してた
またも宿はフルフルフルで、最後の1軒でようやく部屋を見つけることが出来た
村は事故の話で持ちきりで、最新の話によると死者は29名になったと言っていた
アンジーは旅行会社から連絡が入っていて、オーストラリア大使館から安否確認の電話があった
奥地にいる100名以上の安否が確認出来ないと、あちこちで下界と連絡をとる姿があった

私は単独で入山しているので、とにかくこちらから連絡をしなくてはならなかった
大勢の人が集まる村に数台のインターネットに並んで、一通のメールを送るのに30分以上かかりながら
なんとかかずに無事だよという連絡を入れることが出来た
すぐにかずからの返信があって、かずから皆に連絡を入れてもらえることになった
沢山の友人達からメールがきていて、日本でも大きなニュースになっている事を知った

その夜、アンジーとポーターに感謝を込めて、パン屋で買ってきたケーキをみんなで食べた
⑪
小屋の中は混乱していて、最奥にいた私達は何度も話を聞かれた
その中には行きの道中で会った友人達もいて、みんなが無事でよかったと心配してくれた


翌朝、早朝から更に歩き始める
マナンに居た多くの人がどっと下山をしていく
⑫

⑬

下れば下る程雪は少なくなって、でもびちゃびちゃになって歩きにくかった

私の顔はあっという間に雪焼けして真っ黒になってた
⑭
首が痒いなと思ったら、びっしりと水泡が出来ていて
驚いたら数時間後にはボロボロになって剥けだした
急激な日焼けでこんな風になったのは初めてだった

歩いていたら、道の向こうから「MIKI---------!!!」って呼び声がして
1週間も前に通っただけなのに茶屋の子が覚えててくれた
嬉しくってまた一緒にお茶を飲む

雪が降らない場所に雪が降って
いつもと違う白い景色が、複雑だけれどやっぱり綺麗だった

⑮



ここから怒涛の下山劇が始まる

一日250人以上、この谷にはトレッカーだけでも2000人以上はいて
それぞれのガイドやポーターを入れたら数千人の人がいる
その人達が一斉に下山しようとするのだ
みんなそれぞれのチケットの事情や予定があって、とにかく早く下山を希望してた

マナンから先はバイクやジープが走る道がある
でも途中までは雪の影響でバイクも走らず、雪を抜けるまで歩くしか方法はない
何回かこのバイクいける?って聞いて、だいぶ下がってディクリポカラという村で私は1台のバイクをゲットできた
料金は高額だったけれど、そんなの最早今は関係ない

このバイクがすんごかった
3時間かかる道を40分で走ったのだけれど
今までのバイクの中でナンバーワンのアドベンチャーだった
道はでこぼこ、雪もあって、何度も冷や冷やした
自分でバイクを運転したり2ケツした経験がなければ絶対乗れないシロモノだった
でも久々に乗るオフロードの道は最高に気持ちよくて
日本に置いてある自分のバイクに乗りたくなった
⑯
無事に送り届けてくれたドライバー、ありがとう!


ジープが走る拠点の町はまた大混乱だった
少ないジープにみんなが乗り込もうとしてて
更には土砂崩れであちこち道が封鎖されてダイレクトにはいけない
上部で雪が降ってる間、この辺りもだいぶ雨に降られたみたいだった

そんな中、顔見知りのガイドが私をうまいことジープに押し込んでくれた
こんな時、一人身っていうのはあちこちにもぐり込めて便利だ
みんなが優しいのは日本女子一人という事が効果を250%増しにしてるのは間違いないけど
⑰
ぎゅーぎゅーに詰まったジープはすんごい道を走る
本気で崖に落ちるんじゃないかと思った

道が崩れたらそこで降りて、歩いて、乗り換えて
ここも大混乱の大アドベンチャーだった
⑱

⑲

何時間も歩いて、下の村について
げっそり宿に着いたら、他の人もみんな疲れきってた


翌朝もまたジープにうまい事乗れた
こんな時お金をケチってたら確実に乗れない
緊急事態はタイミングが何より大事だ

ジープに溢れる人
⑳

揺れるよねぇ
21

チェックポストも行きよりも断然ピリピリしたムードが漂っていた
下山連絡を入れれたか、と一人ひとりに聞いていく
22


こうして私は、8日かけて歩いた道を、わずか3日で一気に駆け抜けることが出来た
これは最奥に居た事を思うと、ほぼ最短で下山できたのではないかと思う

途中、何人もの顔見知りのネパリ達が大丈夫だったかと声をかけてくれて
カトマンズからのバスで一緒だったグループに偶然会ったら
「毎日アナタの事を心配してたのよ!」と言ってくれた


麓近くの村は、雪崩があった事なんて嘘みたいに
変わらず緑に溢れ、平和な笑顔で溢れてた

23

24


ようやっとスタート地点のベシサハールに着いて気が抜けた
外に食事に行く気力もなく、下界に戻ってきたのに関わらず、アルファ米を開封した
25
日本から持ってきた五目ご飯の豪華な晩ご飯
下山した事をようやくかみ締められた夜だった


翌日、ベシサハールからポカラに行くバスも大変だった
どっと人が押し寄せて、どのバスも満員
こんな高いのじゃ行かないわって粘ってた外人は、きっと延々に乗れなかっただろう


ポカラ行きのバスの車窓から、アンナプルナ山系がはっきりと見えた
26

私はほんの数日前までこの裏側に居て
この裏側で沢山の人が亡くなった



ポカラに着いて、やっと快調なネットカフェに行った時
初めて日本語でニュースを見れた
最終的には死者39名、内日本人の方が2名亡くなるという大惨事だった
これはモンスーンの影響を受けたこの季節に予想しない大吹雪で
ネパールの一般トレックコース史上最悪の事故だった

今ではアンナプルナラウンドコースのトロンパス方面は封鎖された

あの時、もっと状況が早く浸透して規制がかかってたらと思わないでいられない
自由度に左右されるトレッキングの怖さを思い知る


事故があったのは14日
私が吹雪で小屋に缶詰になってる時にアタックした人達だった
恐らくは上がらなければならない状況もあったと思うけれど
吹雪が止んで好天になってからでなく、あの吹雪の中に決行してたという事に驚いた

数百人の人達がヘリコプターで下山した
私は最も雪崩近くにいながら自力で帰ってこれたけれど
ヘリコプターで帰ってきてもおかしくないような状況だった

両親に電話をしたら今までにない心配をかけて
みんなみんなに心配をかけて、そしてかずにも心配をかけて
やるせない気持ちでいっぱいになった

沢山の友人からのメッセージもあって
中には実家に電話をして更には大使館とやりとりをしてくれた友人達もいた


こうして無事に帰ってこれたのは
本当にみんなのおかげなんだなと思う

私は一人で山に入ったけれど
決して一人ではなくて、沢山の優しさに囲まれてた
日本のみんな、現地での友人やネパリ達の暖かさ
みんなの優しさを受けたことを私は決して忘れない
涙が止まらなかった


27

ポカラの至って平和な空気が目に染みて
何とも言えない気持ちで私はカトマンズに帰った


後になって、カトマンズで
あの時別れたマイクとケイティと連絡が取れた

あの後、何とかパスは越えたものの
パスのてっぺんからヘリコプターでムクティナートまで全員搬送されたとの事だった

何はともあれ本当に無事でよかった
その事だけがずっと気がかりだった



下山しようと決めて最短で帰ってこれた事
この判断は間違えてなかった

一時帰国した際に御岳山噴火のニュースを聞いて
今回のトロンパス雪崩事故
そして思い返すのは今年の春のエベレストアイスフォールでの雪崩

自然の驚異は知りつつも、こんなに身近に恐怖を感じたのは初めての経験だった
常に山に畏怖の念を持って
改めてそう思うこのアンナプルナトレックだった

人は自然の巨大な力の前には何も出来なくて
それでもその魅力に引き付けられるんだろうなと思う


私は無事に帰ってこれた
この全ての出来事を受け止めて、
これからも山に向かって行きたいと思う



多くの犠牲者の方のご冥福をお祈りします
そして私の周りの沢山の方々に、
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです



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Comments

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
• Re: ひとみちゃん
ひとみちゃん、ひとみちゃん!!!!!!!

ありがとう
ありがとう

うん、ごめんね、沢山心配かけちゃった
こうやって連絡くれて本当にうれしいよーーーーーーーー、涙

あと少し、最後まで気をつけていってくるね
帰ったらまた会えるかな、、
たくさんたくさん話したいよ!!

どうやって連絡とったらいいんだろう??
今ホットメールロック架かっちゃって見れない状況になっちゃってるんだけど
、ここに一応アドレス載せとくね
own.st--adv@hotmail.co.jp

非公開のやりかた分かんなくてこのまま公開になっちゃってごめん><

本当にありがとう
かずくんにもいっぱいいっぱいよろしくね!!


みき

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